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2005 年 10 月 16 日

ヨナ抜き

今回は「ヨナ抜き音階」について。
音階っていうと、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ の7音階が思い浮かぶよね。明治の頃には、これを ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナ と呼んでいたんだってさ。つまり「ヨナ抜き」とは、ヨとナ(ファとシ)を抜いた5音で構成された音階のことをいうんだよ。

初期の小学唱歌は、そのほとんどが「ヨナ抜き長音階」。

当時の日本人はファとシの音程がうまくとれなかったから「容易き歌曲を用ひて、五音以下の単音唱歌を授け…」ってわけ。

なぜ長音階かといえば、音楽取調掛長の伊沢修二が、長音階は健全な精神を育てるが短音階は暗く無力を産むから教育に用いる曲は長音階にすべし、ってなこと言ったわけで。

そういうわけで日本の音楽はヨナ抜きだらけになっていったのだな。

これによって日本人の音楽的感性の基盤が変わったんだってさ。

歌謡曲でもヨナ抜き音階ベースの曲がけっこうヒットしてるみたい。
演歌にもヨナ抜きは多いみたいだしね。

ちなみに、琉球音階も5音音階で、こちらは ド・ミ・ファ・ソ・シ の5音。この5音でテキトーに鍵盤叩いただけで沖縄っぽくなるから、音階っておもしろい。

2005 年 10 月 13 日

童謡の誕生

ねえねえ、7月1日って何の日か知ってる?
えっとね、日本童謡協会が制定した「童謡の日」なんだよ。
どうして7月1日なのかっていうと、1918年(大正7年)のこの日に、童話や童謡を掲載した児童文芸誌「赤い鳥」が創刊されたからなんだ。この本を起点に「童謡運動」が起こって、次々と童謡専門誌が創刊されていったんだよ。

童謡運動ってのはね、唱歌を批判することから始まった文化運動みたいなもの。賛同者には当時の一流作家や詩人さんたちがたくさんいたんだよ。その芸術家さんたちの唱歌批判がね、かなり辛辣。というか、こきおろしだね。「低級な愚かなものばかり」「美なく生命なく童心なきもの」「不自然極まる」「おそろしい罪悪」「日本の児童は入学の当初から呪はれている」などなど。

 

唱歌の何がそんなに批判されたのかっていうと、唱歌の歴史
でも書いたように、唱歌というものが軍国主義的教育のための手段・道具だったというのが、まずひとつ。それから、子どもに理解できないような難解な歌詞が多い。はなはだしく芸術味に欠ける。てな具合。

だから童謡は、「芸術的香気の高い、子どものための創作歌謡でなければならない」という理念の下に、「現代第一流の芸術家の真摯なる努力を集めて」作られていったんだ。

そして生まれた童謡の数々。

「かなりや」 西條八十/成田為三
 うたをわすれたかなりやは
「夕焼け小焼け」 中村雨紅/草川信
 ゆうやけこやけで ひがくれて
「七つの子」 野口雨情/本居長世
 からす なぜなくの
「どんぐりころころ」 青木存義/梁田貞
 どんぐりころころ どんぶりこ
「ゆりかごの唄」 北原白秋/草川信
 ゆりかごの うたを かなりやがうたうよ
「月の沙漠」 加藤まさを/佐々木すぐる

 つきのさばくを はるばると

など、みなさんご存知の歌がたくさん。

まとめ。

唱歌に対する批判や反感から童謡は誕生したのである。

今回はこれにておしまい。

2005 年 10 月 10 日

音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)

1879年(明治12年)明治政府が音楽教育実施のために文部省に設置。唱歌の作成・編纂、内外の音楽の調査・研究、西洋音楽家や音楽教育者の育成などを行った。

初代所長には伊沢修二が任命され、米国で高名な音楽教育家であり伊沢の留学時の師でもあるルーサー・ホワイティング・メーソンが教師として招聘された。
音楽取調掛は、
1887年(明治20年)に「東京音楽学校」と改称。
1949年(昭和24年)国立学校設置法施行発布により「東京美術学校」と合併、東京芸術大学音楽学部となる。

2005 年 10 月 7 日

唱歌の歴史

ひとつやろうや明治維新
ってわけで、1868年に成立した明治政府のスローガンは「富国強兵」。

いやなに学校作るだけ
で、学制発布が1872年(明治5年)。このとき設けられた教科の中には「唱歌」が含まれていたんだけど、実際には「当分之を欠く」つまり実施見合わせってことだったんだよね。なぜなら「唱歌」という教科を教えられる人がいなかったからなのさ。おまけに教材がない。雅楽や民謡やわらべうたは教育向きじゃないし、どうしましょう・・・って状態がしばらく続いたのだ。

1879年(明治12年)、文部省は人材の育成と教材の作成のために「音楽取調掛(おんがくとりしらべかかり)」を設置。初代所長の伊沢修二は、アメリカ留学時に指導を受けたメーソンの協力を得て、唱歌集の編纂に取り掛かかった。
そうして完成したのが「小学唱歌集 初編
」ってわけなのさ。
小学唱歌集に収められた曲は、西洋の民謡や賛美歌などに日本語詩をのせたものがほとんどなんだよ。これは別にズルしたわけじゃなくて、方針として「和と洋の折衷」というのがあったんだよね。ちなみに作詞をしたのは、里見義、稲垣千頴、加藤巖夫といった国文学者さんたちなんだって。
おかげで、文語体の難しい詞が多くってさ、やんなっちゃう。
んで、曲は「ヨナ抜き長音階」ばかりらしい。ファとシのない5音音階ね。
「初等科に於いては容易き歌曲を用ひて、五音以下の単音唱歌を授け…」ってことだそうで。なぜ長調なのかっていうと、「短調は陰鬱で子どもの育成には向かないから」ってことだそうで。

なにはともあれ、こうして唱歌を教えることができるようになって、小学唱歌集は1884年までに第三編まで発行されたのだ。
その後は、幼稚園や中学校向けの唱歌集も順次発行。

教育直後に日は暮れる
で、1890年(明治23年)10月30日、教育勅語の発布とあいなるわけです。
唱歌は初期の頃から忠君愛国な歌があったんだけど、この頃からますます、軍国主義の色合いが濃くなっていくのだな。

一人で焼くよ日清ヤキソバ
で、1894年(明治27年)日清戦争に突入。
さらに
ロシアに行くわよ日露戦争 が1904年(明治37年)。
行く人死ねん世界大戦 の第一次世界大戦が1914年(大正3年)。
唱歌は国威高揚歌としての役割も負わされちゃう。そして子供たちは、唱歌を通じて、大日本帝国の軍事的侵略を正当化するための教育を施されていったのだ。っていうのは言い過ぎでしょうかね。

でもまあ、そんなんばっかりじゃないんだけどね。
田村虎蔵、能所弁次郎らが言文一致唱歌運動を起こして、1900(明治33)年「幼年唱歌」を発行したのだ。言文一致唱歌運動ってのは簡単に言うと「子どもの歌は子どもの言葉で作ろう」ってことだね。で、作られた歌が「うさぎとかめ」「うらしまたろう」「きんたろう」など。なんかさ、昔話ダイジェスト解説版みたいな歌が多いのね。幼児用だしね。

さて、1902年(明治35年)に事件が起こったのだ。小学校教科書をめぐる贈収賄事件。教科書疑獄事件ってやつだね。このころの教科書は、民間で作られたものを文部省が検定して各府県の審査委員が採否を決めるという「検定教科書」だったんだけどね、教科書会社の売り込み汚職が発覚しちゃって、知事・代議士・県議など200名以上が召喚・検挙されたのだ。

そして教科書は翌年から徐々に「国定教科書(政府指定機関が著作発行)」になっていったわけ。音楽の国定教科書は1910年(明治43年)「尋常小学校読本唱歌」文部省編集・発行。すべて日本人の作詞作曲となるのだが、作者名はまったく記載されなかった。
国定教科書制度は第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)まで続くのであった。

さて皆さん、「文部省唱歌」ってよく聞くでしょ? これって、じつは唱歌の中の一つのジャンルみたいなもんなんだよね。 文部省唱歌っていうのは、国定教科書の頃の「文部省著作の唱歌」のことを指すんだよ。
ちょっとそこの「そのまんまじゃん」って言ってるあなた、なにをおっしゃるうさぎさんですよ。「うさぎとかめ」は唱歌ではあるけど文部省唱歌じゃないんだよ。「荒城の月」もまたしかり。
「故郷」や「たなばたさま」は文部省唱歌。ってことはもちろん単に唱歌と呼ぶこともできるわけ。

えっとね、

文部省唱歌って呼ばれるようになった理由はね、国定教科書は作詞作曲者不明で文部省著作となってることから自然発生的に、ってことらしいね。

途中だいぶ端折っちゃったけど、ここら辺で終了。。

むりやりまとめ。

唱歌は明治に学校とともに始まって、第二次世界大戦とともに終わったというわけだね。

国家的教訓を含む歌、戦争を想起させる歌などは、戦後の教科書からは削除され、歌われることもなくなっていったのだ。

どうも長々とおつかれさまでした。

さて次回は「音楽取調掛」で
次々回は「童謡の誕生」になります。

2005 年 10 月 5 日

小学唱歌集 初編

「小学唱歌集 初編」は
文部省音楽取調掛によって編纂され、
1881年(明治14年)に発行された
日本で最初の音楽の教科書です。
作詞者、作曲者は記載されていませんでした。
唱歌集編纂のために招聘された
ルーサー・ホワイティング・メーソンが
外国の歌集から選んだ曲に、
国文学者が歌詞を付けたものだそうです。
以下、曲目です。

 

第一 かをれ
第二 春山 
第三 あがれ 
第四 いはへ 
第五 千代に 
第六 和歌の浦 
第七 春は花見 
第八 鶯
第九 野辺に
第十 春風 
第十一 桜紅葉
第十二 花さく春 
第十三 見わたせば
第十四 松の木蔭 
第十五 春のやよひ
第十六 わが日の本
第十七 蝶々 
第十八 うつくしき
第十九 閨の板戸
第二十 蛍  
第二十一 若紫 
第二十二 ねむれよ子
第二十三 君が代 
第二十四 思ひいづれば
第二十五 薫りに志らるゝ
第二十六 隅田川
第二十七 富士山 
第二十八 おぼろ
第二十九 雨露 
第三十   玉の宮居
第三十一 大和撫子
第三十二 五常の歌
第三十三 五倫の歌