最近聴いた曲

2005 年 11 月 7 日

ポエトリック・オペラ

<第一幕>

その日、
魂を半分どこかに置き忘れた男女が
とある美術館を訪れました。

♪このよでいちばんけはんけはん
♪おりょうりするこほこほんこほん

男女の名はNONちゃんとmomoちゃん。
普段はぐりとぐらのような二人ですが、
今は風邪ひきさんで元気に歌うこともできません。

美術館の名はフィリア美術館。
八ヶ岳のふもとの森に抱かれた
小さな小さな美術館です。

しとしと小雨の闇をぬって
お魚のようなヘッドライトが
ゆらりゆらり泳いできては
美術館の壁を照らし出します。

おしゃれに着飾った人、
普段着に草履をつっかけただけの人。
次から次へと訪れる人たちに混じって、
二人は重い足とふわふわした体で
ずりずりよろよろくらくらぞくぞく
小さな小さな美術館の門をくぐりました。

そう。
今夜は
音楽会が催される
特別な夜なのです。


<第二幕>

2005年11月3日
フィリア美術館において、「こぶちさわ音楽祭2005」参加の音楽会『ポエトリック・オペラ』が開催された。
出演者は覚和歌子(かくわかこ)さんと丸尾めぐみ(まるおめぐみ)さん。
覚さんは、「朗読するための物語詩」という独自の分野を開拓する詩人であり、かつ、沢田研二、SMAP、小 泉今日子など、数多くのアーティストの歌詞を手がけている作詞家でもある。あまり詩になじみのない方でも、映画「千と千尋の神隠し」の主題歌「いつも何度 でも」の作詞者だと聞けば、ナルホドと思われることだろう。
丸尾さんは、教会音楽とクラシックを下地に、ジャンルにとらわれない自由な作品を生み出している音楽家だ。演奏家として加藤登紀子、ピエール・バルーらと共演したり、作編曲家として、美しい作品群を多くのアーティストに提供。尺八とのユニット、女性の声を活かしたユニットなど、様々な形態で精力的に活動している。

そんな覚さんと丸尾さんがこのたび企画したのが、詩と音楽の新しい形『ポエトリック・オペラ』である。この日は、覚さんが詩の朗読と歌唱、丸尾さんが各種鍵盤楽器演奏と歌唱を担当したのだが、『ポエトリック・オペラ』と聞いてもそれがどんなものなのか、諸兄姉には判断し難いのではないかと思う。筆者自身も実際に拝見させていただいて、ようやく、ああそうかと納得できたのだ。単純な表現をすれば、これは、歌と朗読と楽器によって紡ぎ出される歌劇である。ただし、それだけではない。『ポエトリック・オペラ』…このタイトルの真ん中に、デンと鎮座まします「トリック」の文字。そう、これは「トリック」という名の上質な隠し味をちりばめた最上級の朗読歌劇なのだ。声と楽器を駆使して縦横に繰り出される様々な仕掛け。それはステキなトリック。

ただ、いくら隠し味が上質でも、それだけで質の良い作品が生み出せるはずはない。素材の良さとそれを調理する腕が必要になるのだが、そのあたりも申し分はない。語られ、歌われ、奏でられる情景は、まるで印画紙が感光するように目の前で形を成し、心の中にスッと落ち着いて定着してゆく。
そして、お二人の人柄が多分に効いたスパイスがふりかけられる。しゃっきりキリリとした覚さんのスパイス。ふんわりまろやかな丸尾さんのスパイス。それらが見事に調合されて実に味わい深いふくよかな空間が演出されるのだ。
歌声がまた、心地よい。ご本人達も語っておられたが、それぞれ、お名前のカクとマルを体現しているようで、そういった面でも面白く微笑ましく感じた。
面白いといえば、忘れてはいけないのがパイプオルガンの演奏。この美術館にはなんとパイプオルガンが設置されているのだ。もちろんただの展示物ではない。荘厳な楽の音を響かせる現役のシロモノである。パイプオルガンの演奏は特殊で難しいと聞くが、丸尾さんはそれを演奏しながら歌まで歌ってしまったのだ。つまり、パイプオルガンの弾き語りだ。こんなのはめったに聴けるものではない。重厚な音色とやさしい歌声。ありがとう、と言いたい。

一部終了の後、休憩を挟んで、二部へと続くのだが、この休憩時間に茶菓が供される。演奏者も観客も一旦ロビーに出て、紅茶を飲み、ケーキを手に、歓談するのである。心憎い。

二部には、この日のために書き下ろされた『白夜』という作品が演じられた。覚さんの朗読をメインに据えて物語が淡々と綴られてゆく。物悲しいストーリーが、驚くほどの透明感をもって、美しく強く、美術館という空間を満たしてゆく。そして『白夜』の旋律が、歌声が、胸にじんわりと染み込んできて・・・私は、ゆっくりと、眼を閉じた・・・


<第三幕>

やっほー、たびすけだよん。
音楽会、よかったよ~。
風邪でヘロヘロの某食二人組にピシピシ鞭打って
お片付けを手伝わせちまったい。
ごめんよ。。
そのあと、我々は夕食にカレーを振舞っていただいたのだ。
味は、、おいしかった。。と言っておこう。

覚さんと丸尾さんと音響さんも一緒に食べたんだよ。
なんだか不思議なかんじだったなぁ。
みなさんの電車の時間が迫ってたから
ゆっくりとお話できなかったけど、
音楽会の通りのステキな空気をまとった人達でした。

そして

食後のお茶の時間に、驚愕の事実発覚!
momoちゃんのルーツは「もんきぃ★」だけではなかった。
小淵沢という地にもルーツの一つがあったのだあ。
なんと、momoちゃんのお婆さんは小淵沢の出身だったのです!

しかし、いまだ謎に包まれた「momo婆ちゃん」の生家、生立ち、勤め先。
その謎を解明すべく立ち上がったのは6人の探偵たち。

全長4メートル程のテーブルに並んで座るNONちゃんとmomoちゃん。
その向かいには、対峙するようにして6人の探偵がずらり。

探偵たちは、二人が語る「momo婆ちゃん」の武勇伝に爆笑しつつ、
キャベツの葉を一枚ずつ剥がすように、

ゆっくりと核心に近づいていったのだ。

「あの家かな」
「先々代なら」
「きょうだいが多くて」
「同級生ですよ」

次第に謎が解き明かされていく様は、
いやーもうほんとに、面白かったなー。
それぞれの人生の曲がりくねった階段が、
近づいては離れて、ある瞬間には重なって・・・
っていう早回しのLIVE中継を見ているようだったよ。
アハハハと感動したよ。

ありがとう。おつかれさま。

そして某食二人組は残っていた魂すら置き忘れて、
凍てつく11月の闇へと吸い込まれていったのでした。

おしまい。

<カーテンコール>


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覚和歌子・公式ファンサイト
風雲うたよみギムナジウム
http://www5a.biglobe.ne.jp/~misohito/

丸尾めぐみ・オフィシャルサイト
丸尾めぐみのHP
http://www.angel.ne.jp/~water2/maruo/

某食二人組(NONちゃん & momoちゃん)
某~!?くぼ食堂★ドタバタ記
http://ameblo.jp/shockdo/

お~くぼ食堂
http://www.much-baco.com/ohkubo/

こぶちさわ音楽祭 2005
http://kobuchisawa.gr.jp/gekka/ongakusai/top.html

フィリア美術館

http://www5.ocn.ne.jp/~philia/

インスパイア
お~やすみ(×_×;)食堂。。

http://ameblo.jp/shockdo/entry-10005889405.html

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(鳴り止まない拍手)

2005 年 11 月 3 日

千島樺太交換条約(サンクトペテルブルグ条約)

ねえねえ、千島列島ってわかる?
そう、北海道の東の根室海峡からロシアのカムチャツカ半島まで点々と続いている、あの島々のことね。
じゃあ、樺太(からふと)は?
これも北の地だね。日本最北端のモニュメントが建つ宗谷岬の北から細長く伸びる大きな島。現在は一般的に「サハリン」と呼ぶ。サハリンはロシア語ね。

ってことで、じゃあ、
江戸時代の末期から始めようか。

まず、千島列島の方ね。
1855年(安政元年)日露和親条約(下田条約)が日本とロシアの間で結ばれて、択捉島(えとろふとう)と得撫島(うるっぷとう)の間が国境線となったんだ。大雑把にみてこの時点での日本領は、北海道東端~カムチャツカ半島間の1/3の距離までってところかな。残り2/3はロシア領。

次に、サハリン(樺太)。
江戸時代には日露間での領土争いがなんだかんだとあったんだけど、それは省略して、っと。
1867年(慶応3年)江戸時代末期も末期の大政奉還の年に、幕府が「樺太島仮規則」に調印。それによってサハリンは、日本とロシアが共同管理する島になったんだ。ってことは両国の国民が雑居してたってことだね。

そして1875年(明治8年)、千島樺太交換条約
日本政府はロシア政府との交渉の末、日露両国民が雑居していたサハリンの権利を放棄する代わりに、ロシアが領有していた千島列島すべてを日本の領土としたんだ。この時点で、サハリン全域がロシア領、千島列島全島が日本領となったわけ。

その後、
1905年(明治38年)日露戦争後には、サハリンの南半分(南樺太)も日本領となるが、太平洋戦争後の1951年(昭和26年)には、サンフランシスコ条約によって日本は樺太と千島列島の領有権を放棄することとなる。
で、
このとき放棄した千島列島の範囲をめぐっての北方領土問題が今なお続いていると、まあ、そういうことで今回は終了。。

次回はずーっと南に飛ぶよ!

2005 年 11 月 1 日

11月も音楽だ!

ほんとはね、

10月でブログジャンル「音楽」はおしまい

の予定だったんだよ。

14~15回連載で完結するはずだったから

一日おきに書けばちょうど一ヶ月。

そういう予定だったんだよ。

でもね

まあね

11月も音楽ってことで

もうちょっとお付き合いください。
お~ばけぇ食堂

それから、

お~ばけぇ食堂
」に行けなかった方々へ。。。

みなさまの無念を晴らすべく

たびすけがみなさまの分まで

もんっっっっのすごーく楽しんできましたので

どうかご安心ください。

それにしても

焼け石に熱湯!!ごはんっ
は美味しすぎでした。

2005 年 10 月 24 日

賛美歌

えーっと

今回は予定通り「賛美歌」についてなんだけど、

詳しく説明しなくても知ってるよね?

じゃあ、そういうことで・・・

次回は「蛍雪の功」です


2005/10/26 追記 というより 書き直し

それじゃ、もう一回やり直しー。

賛美歌ってのは、【岩波書店 広辞苑第五版】によると、
『キリスト教で神または救い主を讃美する歌』 だそうで。
まあ、このくらいはだいたい理解してるよね? 礼拝などで歌われるアレだね。
辞書の意味にプラスして言うと、プロテスタントで歌うのが「讃美歌」で、カトリックで歌うのは「聖歌」なんだ。プロテスタントの中でも宗派によっては「聖歌」を歌ったりするらしいけど、カトリックは「讃美歌」歌わないんだって。
他にもカトリックとプロテスタントでの呼び名の違いってあるよね? 神父と牧師、ミサと礼拝とか、ね。じゃあさ、カトリックが「赤」でプロテスタントが「白」の物ってな~んだ? のほほんさん
だったら簡単だよね?

話を戻して・・・
賛美歌の曲は、賛美歌作家が作ったものだけじゃなくて、世界各地の民謡を原曲とするものがいくつもあるんだ。イギリス民謡、スコットランド民謡、パキスタン民謡・・・などなど。

日本で初めて賛美歌が歌われたのは今から450年ほど前。
その後、禁教令が発布されて、キリスト教弾圧と迫害の時代。
1873年(明治6年)政府がキリスト教を解禁して、このとき初めて賛美歌が日本語に翻訳されたんだ。

いうまでもなく、賛美歌は西洋音楽なんだけどさ、明治初期の一般ぴぃぽーは西洋音楽なんてまったく聴いたことがなかったわけさ。そんな人達に西洋音楽を浸透させるために、賛美歌が一役買ったのは間違いないだろうね。宗教関係の音楽だから、浸透範囲は狭かったろうけど。

西洋音楽の一般への浸透ってことで言えば、そこで絶大な効力を発揮したのは、まぎれもなく「唱歌」。学校教育ってレベルからの浸透だもんね。
唱歌の歴史
」で書いたように、唱歌集の編纂の過程で、西洋のメロディーに日本語の歌詞をのせるという和魂洋才の作業が行われたんだけど、なんとね、小学唱歌集初編に収録されている全33曲のうち1/3くらいは賛美歌のメロディーなんだよ。

音楽取調掛で唱歌の編纂に従事したルーサー・ホワイティング・メーソンって人は、高名な音楽教育家だったんだけど、牧師志望の敬虔なクリスチャンでもあったらしいんだよね。そのメーソンが唱歌集の選曲をするってんだから、こりゃもうどうしたって賛美歌が混じってくるはずなのさ。で、その時代に、学校で教える歌に賛美歌を使うなんて、とんでもないことだったわけで、彼らは明治政府に気付かれないようにこっそり導入したんだそうな。でも、それってそんなに難しいことじゃなかったのかも。当時の政府のお役人は曲より詞を重要視してたみたいだし。西洋音楽理解できないからさ。。

えーっとね、つまり日本の唱歌がお手本にしたのは賛美歌だったと。そういうことなんだってさ。

おまけ:

「賛美歌」と「讃美歌」の表記の違い。

一般的には「賛美歌」を使うんだけど、賛美歌集の書名や団体名などの固有名詞には「讃美歌」を使うことが多いみたいだね。

次回は「蛍雪の功」です

2005 年 10 月 21 日

NHK紅白歌合戦

えーっと

今回は予定通り「紅白歌合戦」についてなんだけど、

詳しく説明しなくても知ってるよね?

じゃあ、そういうことで・・・

次回は「賛美歌」です


2005/11/30 追記

「NHK紅白歌合戦」は、毎年大晦日にNHKで放映される歌番組であります。略称「紅白」。
白組(男性歌手)と紅組(女性歌手)に分かれて、対抗形式でなにかを競い合うんだけど、何を競ってるんだっけ?

 

1945年に前身となる「紅白音楽試合」がラジオで放送。
1951年に「紅白歌合戦」第1回放送。当初は正月番組でした。
第4回からテレビ放送されるようになり、放送日も大晦日に変わりました。

 

で、「紅白」のエンディングは出演者と観客で「蛍の光」を合唱して最後を飾るのが恒例となっているんですが、いつからなんでしょうね? 第1回から? 誰か教えて。

 
「紅白」といえば故藤山一郎さん。ずっと「蛍の光」の指揮をしていましたよね。有名な逸話ですが、藤山さんって自分では「蛍の光」は歌わなかったそうです。言葉のアクセントを大切にしていたので「こんな日本語のアクセントとかけ離れた歌は歌えません」ということだったようです。
そういえば「蛍の光」って曲名もヘンなアクセントで呼ぶのが一般的だよねえ。「ほたる」の「ほ」にアクセントが付くべきなのに、「たる」に付いちゃってるっていうか、平板になってるよねえ。

 

「紅白」も近年は視聴率がだいぶ落ち込んでいるという話ですが、日本の年末の風物詩として頑張ってもらいたいものです。自分も10年以上みてないけどね。ごめんね。